歴史
ワシントンDCはニューヨーク、フィラデルフィアに次ぐアメリカ三番目の首都です。その首都移転計画はトマス・ジェファーソンとアレクサンダー・ハミルトンの会談により、首都をできるだけ南北の境に近い南部よりとすることが合意されたことによって、ワシントンD.C.の今日の場所を決定しました。当初計画された都市面積は100平方マイル(260km
2)でした。
そして1790年に法案が可決され、連邦政府所在地として「コロンビア特別区」をポトマック川河畔に置くことが決定されました。その場所はメリーランド州とバージニア州の境とされ、市の名前はジョージ・ワシントンから取ることとされました。1801年、この特別区は連邦議会の管轄下に置かれることになりました。元々は特別区設置以前は、この場所には二つの町、ジョージタウンとアレクサンドリアがありました。これらを除いた場所に、メリーランド州側にはワシントン市およびワシントン郡、バージニア州側にアレクサンドリア郡が設置されることとなりた。その後1871年、ワシントン市、ワシントン郡、ジョージタウンはワシントンD.C.として統合されました。
ポトマック川南の約100km
2は、1845年連邦議会が可決した条例により、バージニア州の帰属に戻されました。この土地は現在はアーリントン郡に属し、アレクサンドリア市の一部をなしています。この結果、ワシントンD.C.は、頂点を北に向けた正方形のうち、南西部の川に区切られた区画を除いた形をなすことになりました。
設立以来連邦政府直轄ということで市民には大統領選挙の選挙権がありませんでしたが、1961年、アメリカ合衆国憲法修正第23条により、ワシントンD.C.市民に初めて大統領選挙の選挙権が与えられました。コロンビア特別区全体に対して、人口の最も少ない州に与えられる、選挙人3人の定数が確保されたのです。
1974年、初めて市長の公選が行われ、行政委員会委員長であった民主党のウォルター・ワシントンが初の市長に就任しました。1991年、2代目の市長マリオン・バリーが3期目の任期中、麻薬の使用によりFBIの囮捜査で逮捕され、コカイン所持により6ヶ月の懲役刑を受けました。次に市長に就任したシャロン・プラット・ケリーは、アメリカの大都市ではじめて市長になった黒人女性です。1994年、ケリーの任期が満了すると、マリオン・バリーは再び市長に返り咲きました。1998年、エール大学卒の弁護士、アンソニー・ウィリアムスが市長に選ばれ、現在は2期目を務めています。
2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件でワシントンにある国防総省(ペンタゴン)に飛行機1機が突入するテロを受けました。(ただし、国防総省の実際の所在地はポトマック川対岸のバージニア州にあります。)
*Wikipedia.comより引用