チャールストンの歴史
南北戦争の頃
1860年12月20日に、サウスカロライナ州議会はアメリカ合衆国からの脱退を支持する投票結果が出た最初の州でした。そうなった原因の1つは奴隷制度に反対する当時在職の大統領への選挙がきっかけであると言われています。
1861年1月9日に、チャールストン要塞の士官がチャールストン湾へ出入りする合衆国の船に向けて第一撃を放ち南北戦争の火蓋が切られました。1861年4月12日に、将軍ピエールG.T.Beauregard配下のコマンド部隊は半島先端の岸の砲台より、合衆国に属するサムスター要塞へ向けての発砲を始めました。34時間の爆撃の後、ロバート・アンダーソン少佐は降参しました。要塞のサウスカロライナの陸軍大学の若い士官たちは、人員の補充、弾薬製造、倉庫の防護、北軍捕虜用の牢獄の監視などにより南軍をサポートしました。チャールストン包囲網の中サムスター要塞を支配した南軍はここを北軍包囲の突破口とし、1863年には初の海中戦の舞台となった。しかし1865年には北軍が市内へ進攻し開戦当時に南軍が獲得したアメリカ兵器製造所のような多くの拠点を支配した。
連合軍が次第に南軍を打ち破っていく中で、北軍はチャールストン復興の間駐留を続けた。南北戦争によりこの街は過去の繁栄をすっかり破壊されました。解放された奴隷は今度は貧乏と人種差別に直面しました。産業は次第に復興しこの街に活力を与え住民たちが戻ってきて人口も次第に増えていきました。この街の商業が復興していく中でチャールストン市民は地域コミュニティを確立していきました。1867年には黒人のための最初の中学校を設立しました。ウィリアム・T.シャーマン将軍は兵器製造工場を元兵士や戦争孤児のための教育設備ポーター陸軍士官学校へ転じる支援をしました。この学校は後にGaud Schoolに統合され、今では権威あるK-12(幼稚園〜高校まで一環の)私立学校(ポーター・ガウド・スクール)となっている。傷ついたついた都市の復興のためのコミュニティであるウィリアム・エンストン・ホームは1889年に設立された。郵便局や裁判所といった公共の建物が精緻な建物として建築され、1896年に完成しそのことがこの街の復興のシンボルとなっているのだ。
1885年の8月25日に発生した時速125マイルにも及ぶ巨大ハリケーンはチャールストンの90%の家屋を破壊し概算200万ドルの損害をもたらした。
1886年には大地震が発生しチャールストンがまるでボストンやバミューダほどにも遠く感じられた。ハリケーンに次ぐ巨大災害により破壊しつくされた建物は2000にも及び600万ドルもの被害となった。全米での被害額が2400万ドルであったことを考えれば被害がいかにチャールストンに集中してしまったかわかる。
こうした戦争や自然災害、火災と20世紀に入ってからの再開発・都市化の波の中にあってもチャールストンが持つ財産とも言うべき美しい歴史的町並みは元の形でしっかりと残っているのです。
チャールストン現代史
今日のチャールストンは親しみを込めて「聖なる都市」と呼ばれ、アシュレー川・クーパー川が大西洋を作るために合流する場所と説明されます。
アメリカで最もエチケットに関する権威であるマージャベル・ヤング・スチュワートはこの街を称して「全米でもっともマナーのよい町」であり、この国で唯一「Livability Court」を持ち信用に足りる町と認定しました。
チャールストンはサルオガセモドキに覆われたライブ・オークの並木道によって区画されている観光のメッカです。水辺際には美しい歴史的な、パステルカラーに優しく覆われる建物が並びます。実際対岸のマウント・プレザントにあるワンド・ターミナルの方に主なコンテナ船が発着していますが、チャールストンの港はとても忙しい港でもあります。2005年には新クーパー橋が開通予定です。開通後にはこの橋は北米最大の吊り橋となります。
チャールストンでは毎年「Spoleto Festival USA」や「Southeastern Wild Life Exposition」、「ファミリー・サークル・テニス杯」「クーパー・リバー・ブリッジ・ラン」などのイベントが開催されます。自然愛好家であればサウスカロライナ水族館やオーダバン・スワンプ・ガーデンそしてサイプレス・ガーデンははずせないスポットでしょう。歴史愛好家であれば「Old Exchangeビル」「モールト要塞」「サムター要塞」や「ブーン・ホール・プランテーション」「マングノリア・プランテーション」「ミドルトン・プレース」のようなかつての奴隷農場などを見学するのも良いでしょう。
1989年のハリケーン「フーゴ」はチャールストンの歴史保護区域の実に3/4もの建物に損害をもたらしました。このハリケーンによる被害は28億ドル以上にもなりました。
*Wikipedia.comより引用