[Logo]

チャイナタウン
フィナンシャル・ディストリクト
ノブ・ヒル
ゴールデンゲート・パーク
ロシアン・ヒル
ロンバード・ストリート
ユニオン・スクエア
マーケット・ストリート
シビック・センター
ジャパン・タウン
フィッシャーマンズ・ワーフ
ツイン・ピークス
エンバーカデロ
ソーマ
ノース・ビーチ
カストロ
ショッピング・エリア

ベイ・ブリッジ
ゴールデンゲート・ブリッジ
コイト・タワー
トランスアメリカ・ピラミッド
シール・ロックス
アルカトラス島
ビクトリア・ハウス

ミュニ・メトロ
ミュニ・バス
カルトレイン
サンフランシスコ空港
エアトレイン
ミュニ・ケーブルカー

サンノゼ
クパチーノ
スタンフォード大学
サンフランシスコ近郊

サンフランシスコ地図
サンフランシスコ・データ
観光情報
交通機関情報
ケーブルカー
ゴールデンゲート・ブリッジ
ビクトリア・ハウス
旅行記




[Logo]

サンドポイント,アイダホ
コーダレーン,アイダホ
スポケーン,ワシントン
ニューヨーク
ワシントンDC
ブレーンツリー, MA
コロンバス, ジョージア
セントジョージ島, フロリダ
チャールストン, Sカロライナ
サンフランシスコ
ロスアンゼルス, CA
パサディナ, CA
ディズニーランド, CA
トロピカル・アイランド

ドミニカ・プンタ・カーナ

ハワイ・オアフ島

フィリピン・セブ島

アジアの各都市

中国・北京

中国・上海

中国・南京

台湾・台北

フィリピン・マニラ

ドイツ・ミュンヘン
アラブ首長国連邦・ドバイ

MUNIケーブルカー情報

サンフランシスコの有名なケーブルカーは3つのルートで運行されていますが、その路線名によって行き先を明示的に理解できるので便利です。例えばパウェル-ハイド線はパウェル〜ハイド間の往復を示します。パウエルストリートのマーケットストリートとの交差点付近にはターンテーブルがあり、ここが3つのうちの2つの路線、パウエル-ハイドとパウェル-メーソン線の出発点になっています。メーソン線はここから丘を上がっていきNob Hillを越えてベイストリートをフィッシャーマンズワーフまで向います。ハイド線の場合も同じようにパウエルを出てNob HillそしてRussian Hillを越えフィッシャーマンズワーフの西側の方に下っていきます。行き先自体は同じフィッシャーマンズワーフとはいえ随分離れていますので注意が必要です。

料金:大人・子供(5歳〜17歳)とも片道$3.00 $5.00

   ケーブルカー写真集1996, 2004 and 2005     ケーブルカー路線図


Cable Car Ticket
技師のアンドリュー・ハリディーはノブ・ヒルの坂道で重荷を引いていた馬5頭が事故死するところを目撃しました。このことがきっかけでこの技師はこの坂道が多いサンフランシスコに適した交通システムの開発に着手したのです。彼は地下ケーブルを開発し、そのケーブルを強力なモーターで回転させて一定の速度で乗り物を引っ張るだけの能力を確保しました。そしてこれにより、1873年に軌道式の今まで見たことのないような新しい交通システムが誕生し、1889年までに延べ112マイルにも及ぶ8つの路線が開通しました。現在ではそのうちの3線が残っていて毎日多くの旅行客を運んでいるのです。


ケーブル  ケーブルカーのケーブルは114本の鋼鉄線をより合わせてできています。ケーブルとケーブルカーを接続するためにケーブルをグリップするための装置を開発しました。その装置はてこの原理で運転手によって操作されます。ケーブルカーはケーブルにしっかりグリップされていない限り前に進むことができません。グリップされると時速9マイルという一定のスピードでケーブルに牽引されるのです。

ケーブルカー・バーン
この建物ではメイソン、ハイド、カリフォリニアの3線を運行するシステムがあり大きなホイールがワイヤーを引っ張っています。この3線とも往復運転で目的地に到着すると今度は逆に出発地まで逆方向にワイヤーで引かれるのです。
歴史的交通手段  1906年のサンフランシスコ大地震によって酷いダメージを受けてしまったケーブルカーは部分的にしか修復されませんでした。1947年にはサンフランシスコ市はケーブルカーをより経済的なバスやトロリーへの置き換えを始めました。しかしサンフランシスコ市民は3線だけを残そうと基金を作り1981年から1984年にかけてようやく修復を終えたのです。

ケーブルカー・キャブの装置


2種類の車両  大部分の路線は単線の一方通行でケーブルカーは終端までいくと運転手はターンテーブルで方向転換しなければなりませんでした。以前は双方向型の車両があり、前後それぞれに運転台がありました。このタイプであれば、折り返す際にはポイントを切り替え運転台を変えるだけで済むのです。


アンドリュー・S・ハリディー  ロンドンのケーブル技師の息子に生まれたハリディーは1853年にカリフォリニアにやってきました。彼がノース・ビーチ・ファクトリーを設立する以前にはシエラネバダ山脈の鉱山用のトロッコを建設しました。その後彼はその将来をクレイ・ストリートに作られた最初のケーブルカー線の建設に捧げました。その翌年には彼の努力により8つの路線が建設され、サンフランシスコの全く新しい交通手段として成功することが約束されていたのでした。

Copyright (C) 2004-2007 Satoshi Shimizu. All Rights Reserved.
inserted by FC2 system