パサディナの歴史
パサディナの最初の居住者は「Hahamongna」と呼ばれShoshone語を話すTongva族の一部です。パサディナはその他の多くのカリフォルニア州の自治体と同様スペインの布教団たちの所有する土地でした。パサディナの場合はサン・ガブリエル・アルカンゲル布教団です。やがて土地はスペインからメキシコに譲渡され、その後多くの所有者たちの手に渡っていきました。
パサディナ市が創設されたのは1873年のことで、トーマス・エリオットと値段が安くて暖かい土地を探して移民してきたミシガン州、インディアナ州そしてイリノイ州のグループの手によるものでした。パサディナという名前は定かではなく時折り議論になるものの、「Chippewa」インディアンたちが使っていた言葉で「クライン・オブ・ザ・バレー」から由来しています。その後パサディナはサンタフェ鉄道、アトキンソン鉄道などの大事な駅となり、次第に大きな都市となっていきました。
パサディナは1880年代から大恐慌にかけての建設ブームに乗っかる形で大きなホテルが建設され裕福な東部の人々にとってウィンター・リゾートとしての地位を築いていきました。そのうちの2つのホテルの建築物は現在も当時の姿を残しています。オールド・パサディナのフェア・オーク通りとグリーン通りにあった「グリーン・ホテル」はコンドミニアムに改築され現在は「キャッスル・グリーン」と呼ばれています。グランド通りのビスタ・デル・アロヨ・ホテルは第二次世界大戦期間には病院として利用されたことで知られていますが、現在は裁判所施設になっています。
パサディナ市のもつこの地域のハブとしての役割は、ローズパレード、各種道路やフリーウェイの建設イベントなどを通してより1930年〜1960年にかけて確かなものとなっていきました。そして最終的には2003年のロサンゼルス・メトロ・ゴールド・ライン(ライト・レールの鉄道)の開通によって閑静したと言ってよいでしょう。
*Quoted From Wikipedia.com